世界遺産「天草市河浦町の崎津集落」。漁村に生きたキリシタン

「海の天主堂」とも呼ばれる「﨑津天主堂(﨑津教会)」を含む天草地方の潜伏キリシタン関連遺産が2018年5月、大きなニュースとして取り上げられました。これらの史跡が長崎の教会群とともに、ユネスコの諮問機関からの世界遺産登録勧告があったことがその理由です。

世界遺産の登録には、事前の勧告が尊重されるケースが多く、6月に開かれる世界遺産委員会で正式に決定される目算が極めて高くなっています。この記事では、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として国内22件目の世界遺産に登録された、天草市河浦町にある崎津集落についてご紹介させていただきます。

「天草市河浦町の崎津集落」とは?

豪族「天草氏」やキリシタン大名「小西行長」によってキリスト教信仰が盛んだった天草市河浦町﨑津一帯は、隠れキリシタンが多く住む漁村でした。隔絶された土地や「天草崩れ(幕府によるキリシタン摘発。しかし天草地方の安定のためにとがめなし)」後の崎津集落隔離によって、極めて特殊な隠れキリシタン文化が醸成された場所です。

崎津集落のランドマークとなっている「﨑津天主堂」は、明治時代1888年に建てられた木造の小さな教会でした。現在見られる尖塔の上に十字架を掲げた重厚なゴシック様式の教会は、1934年(昭和9年)、フランス人宣教師ハルブ神父らの助力によって再建されたものです。

﨑津天主堂

フランス人宣教師ハルブ神父からの「弾圧によって絵踏みをさせられた隠れキリシタンたちの魂を慰めたい」という強い希望から、実行場所となった吉田庄屋役宅跡が選ばれました。崎津集落の隠れキリシタンたちの心のよりどころとなり、彼らを支えてきたフランス人宣教師ハルブ神父とはどのような人物なのでしょうか。

フランス人宣教師ハルブ神父

ハルブ神父(1864~1945)が長崎の黒崎教会から崎津集落に赴任したのは1927年の事でした。重厚なレンガ作りの黒崎教会と比べると比較にならない崎津教会の荒廃ぶりに心を痛め、絵踏みが行われた吉田庄屋敷跡を買い取り、カトリックの教会堂建築を得意とした建築家「鉄川与助」に指示し、現在の「﨑津天主堂」を建立しました。

また、長崎から持参したパイプオルガンはハルブ神父が亡くなった後、長年壊れたままに放置されていましたが、2018年2月に兵庫県篠山市の古楽器製作者「平山照秋」さんの手によって修復に成功しました。現在ではよみがえったその美しい音色によって、崎津集落に暮らす人々、そして訪れる人々の耳を楽しませています。

弾圧をしなやかに生き抜いた﨑津キリシタンの知恵

同じ天草の地でキリスト教を進行しながらも、天草の乱で多くの隠れキリシタンたちが虐殺されたのに対し、崎津キリシタンの多くは迫害を逃れしなやかに生き伸びることができました。その成功要因には、まず神社をうまくカムフラージュに利用したことが挙げられます。1647年に創建された当時の古い鳥居が今も残る「﨑津諏訪神社」も﨑津の人々には大切な場所でしたから、キリスト教を進行しながらも神社への参拝は続けていました。

﨑津諏訪神社

また仏教儀式の中に巧みにキリスト教儀式を取り入れ、表向きは仏教徒であることを装うことにも成功していました。そして﨑津集落は入り組んだ湾の中に位置し、外界とは船で行き来していたという隔絶された土地だったことも功を奏したといえます。

天主堂だけではない!崎津集落のみどころ

﨑津集落そのものも素朴なたたずまいと、家々の屋根に浮かぶ﨑津天主堂の尖塔が一種幻想的な雰囲気を醸し出す魅力的な場所です。そして最近人気を呼んでいるのが、﨑津天主堂近くの岬に立つマリア像です。

マリア像を背景に沈む夕陽がロマンティックと話題を呼び、「インスタ映えする」「フォトジェニックスポット」として撮影を楽しむ人々の姿が多くみられるようになりました。現在では天草夕日八景の一つとなっています。

マリア像を背景に沈む夕陽

また、全国から釣り客が集まる絶好のフィッシングスポットであり、また夏の花火大会には県内外から多くの観光客が訪れるため、寿司屋などの飲食店やホテルなどの宿泊施設も整っています。

崎津集落の旅でキリシタンの歴史をしのんでみませんか?

悲惨な歴史も数多く語り継がれる中で、激しいキリスト教弾圧を潜り抜け、たくましく生き抜いた崎津キリシタンたちの歴史は、現代に生きる私たちにも多くの事を教えてくれます。時の支配者たちの理不尽な圧政をかわしながら、自らの信ずる信仰を貫く崎津キリシタンたちは、きっといつかは自由になる日が来ることを疑わなかったのでしょう。

美しい天草の海を臨む崎津集落を訪れ、彼らのたどった歴史を偲ぶ旅は、今年の夏の計画の一番のおすすめです。

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