田原坂はなぜ最恐の心霊スポットになれたのか

田原坂、そう聞いて思い浮かべるのは「激しい戦いがあった地」と「心霊スポット」の2つである人がほとんどではないでしょうか。私はどちらかと言うと心霊スポットというイメージが強いです。

しかし、なぜ田原坂は心霊スポットと化してしまったのでしょうか。テレビでも特集を組まれるくらい有名な心霊スポットとなった田原坂の歴史を見てみましょう。

現れる幽霊たちは西南戦争の犠牲者たち

日本最大規模とも言われる西南戦争。明治政府VS西郷隆盛が率いる薩摩藩との戦いです。

明治政府6万人と薩摩軍3万人の計9万人がかりで田原坂で激戦を繰り広げます。この戦いでの死者は約14,000人にも及びます。

約2週間に及ぶ戦いのうち半分は雨が降り注いでいたと言われています。降り止まない雨と戦いの犠牲者たちの血がまざり、まさに血の海と化していた田原坂。

今では春になると田原坂公園でお花見を楽しむ方もいますが、今から約140年前には滴るほどの血が溢れていた地だったのです。

馬に乗った若い少年が追いかけてくる

西南戦争を歌った曲にこのような歌詞があります。

「雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ田原坂
右手に血刀 左手に手綱 馬上豊かな美少年」

田原坂にある「美少年の像」のモデルとなった少年の年齢はわずか19歳。こんなにも若い少年が右手で刀を持ち、左手の手綱で馬を操りながら戦いに挑んでいたのです。

美少年の像

歌の歌詞に「血刀」とあることからこの少年も敵軍を何人も刺殺していたのでしょう。田原坂では夜になると若い少年が馬に乗って追いかけてくるという話が絶えません。

ときには家族や身内どうしでも戦いを繰り広げたと言われている田原坂での戦いに参戦しなければならない19歳の兵士の心は、今も何かを訴えているのでしょう。

心霊現象が多発する官軍墓地

兵隊の足音がする、金属と金属がぶつかり合う音がする、何者かに足をつかまれる。とにかく何かが起こる田原坂に現れるのは何も兵士たちの霊だけではありません。

戦場の地となった田原坂にもともと住んでいた人たちもたびたび私たちの前に姿を見せます。戦いの巻き添えをくらった人々もまた、無縁仏となって私たちを見ているのかもしれません。

七本官軍墓地

田原坂での戦いでは物すごい数の銃弾が飛び交っていました。銃弾と銃弾がぶつかってできる「かちあい弾」がいくつも見つかったほどです。

狙おうと思っても打った銃弾同士をぶつけるのは至難の技のはずなのに、それがいくつも見つかるくらい無数の弾が飛び交っていたのです。飛び交っているのがさも当たり前かのように目の前を右に左に飛び続ける銃弾に、近くにいた住民が犠牲になってしまったのです。

幽霊になりやすい人の特徴

今まで地球上で亡くなった方たちみんなが霊として私たちと一緒に暮らしていると考えたら、とにかく恐ろしいですよね。あっちもこっちも幽霊まみれです。

でも実際にはそんなことはありません。亡くなってから幽霊になる人とならない人がいるためです。

ある条件を持った人は幽霊となって浮遊しやすいと言われています。その条件とは何でしょうか。

  1. 自分が死んだことに気づいていない人
  2. 強い未練が残っている人
  3. 死んでなんかいない、生きていると思い込んでいる人

これらの人はあの世へ自分を連れにお迎えに来た人を拒否してしまうようで、そのまま地上に残り霊となってしまう、という考えがあります。もちろんこれが本当かどうかは誰にも分かりません。

田原坂での戦いは日本で最も激しい戦いだったと言われているように想像しても決してしきれないほどの壮絶な戦いです。死者約14,000人のうち何人が戦いの途中で死んでしまうことの悔しさや敵への恨みなどを持ったまま亡くなったでしょうか。

戦没者慰霊之碑(田原坂公園内)

数秒前までは敵軍を見つめて猛進していたのに気づいたら銃弾を受けていたなんてこともきっとあったでしょう。戦いには何の関係もないのに亡くなってしまった方もいるでしょう。

田原坂で亡くなった方たちは霊になりやすい人の特徴に当てはまる人が多いのではと思うのは私だけでしょうか。だからこそ、ここまでの心霊スポットになってしまったのでは。

こうした人々の思いが霊となって今も田原坂の地を訪れる人に何かを訴えているのでしょうか。

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